避難所では障がい者は暮らせなかった~DVD「逃げ遅れる人々」上映と鈴木絹江さん講演会報告

東日本大震災では、障がい者が健常者よりはるかに多くの被害をこうむったことが明らかになっています。障がいがあることが普段以上に災害時にはハンディとなった、その状況をや課題を描いたDVDの上映会と講演会を9月22日ルミエール府中で行ないました。

当日は80名に上る参加があり、関心の高さがうかがえました。DVDでは障がい者が避難所で排除されたこと、自宅にいても行政からの不遇を訴える場面が続出します。被災地の障がい者への支援を即決断した当事者団体の行動も大きな映像の柱ですが、支援しなければ取り残される実情が伝わってきます。
車いすの青年が当事者支援として被災地に派遣された場面では、避難所での対応に怒って帰った女性に「…今まで障がいがあるからと遠慮して言いたいことを言えなかったことはよくわかるけど、怒るだけでは変わらない。あなたが伝えなければ変わらないのですよ」と話しかける場面が印象的でした。

原発の廃炉こそ一番の防災対策と訴えた鈴木絹江さん

 

 上映後、DVDに登場する鈴木絹江さんからお話を聞きました。
田村市は、津波被害はなかったのですが、鈴木さんたちは避難を決断しました。原発事故のせいです。
「ただちに人体に影響はない」と言われている最中に避難を決めた。障がいがあるため移動は遅れ、避難所はすでにいっぱいで、滞在は不可能。介助者がいなくては生きていけないのに、介助者も被災者であり確保できない。どこに避難するかの決断が生死を分けた。新潟に避難を決めたが、中越地震の経験から本当に厚遇を受け、幸運だった。長引く避難生活で障害が重度化し、薬の確保も困難だった。病院も長くはいられない…などなど、胸に詰まる話が続きました。
何より、地域での長年にわたる障がい者の自立生活運動が中断した原因は原発事故によるとして、原発の廃炉こそ一番の防災対策である、新たな障がい者差別を生む原発こそ廃炉に!そのために皆さん活動してください、と訴えられました。
車いすで生活する小柄な鈴木さんですが、怒りのエネルギーはただ者ではないと圧倒されました。いま、田村市の「市民による健康を守るネットワーク」の活動にも関わり、少しでも被曝を避けるための情報提供と支援活動を行なっておられます(ぜひ検索のうえ、ご支援お願いします)。

ひとりでも多くの人とこのお話を共有したい、そう思った講演でした